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" トラベル日本"”ウォーキングツアー "2018年

ぐるり一周 大和路まほろば
うきうきハイク パート5

あなたの知らなかった大和の新発見がきっとあります!
【新方式・バスツアー&現地集合ミックスプラン】

【企画担当者ススメ・ツアー】

今までなぜ奈良ウォーキングを本格的に取り上げなかったのだろう
・・・不思議なぐらいの面白さ満載!

バスツアー&現地集合ミックスプラン
・ウォーキングリーダーが案内いたしますので初心者の方でも安心!
・お一人様でも、途中の回からや1回だけでも大歓迎です。

大和の美しい里山風景や日本一を誇る
歴史の深さを体感できるよくばりプランです。

このツアーこそが企画力を誇るトラベル日本の奥の深さ
・・・マニアックとミステリーが合言葉です!


橿原市観光マスコットキャラクター
さららちゃん

大和まほろば・うきうきハイク パート5

第1回 万葉集を歩く香具山
第2回 万葉集を歩く飛鳥京
第3回 持統天皇行幸の古道”奥明日香の道”
第4回 大津皇子を訪ねて桜の二上山

第5回 
つつじの名所 神野山
第6回 大国見山と桃尾の滝
第7回 大和王権発祥の地 卑弥呼の里と纏向遺跡
第8回 明治維新の魁”天誅組”ゆかりの地 東吉野村清流

 

 

 

第1回から第3回は大化の改新、白村江の戦い、
古代史最大の内乱「壬申の乱」など激動の時代を生き抜いた
女帝 持統天皇(さらら姫)の足跡から華やかにスタート!

謎とロマンに満ちた”日本古代史の旅“の誘い

『古事記』『日本書紀』・・・現在の日本の原形を作った
”天智・天武・持統天皇の時代“ を軸に置いて旅する面白さ


邪馬台国とは? 卑弥呼とは? そもそも日本人とは?
何一つ明確な答えが出ない謎だらけの日本古代史です。
ですが正解がないからこそ、自身の想像を働かせることが
出来面白いともいえます。


近鉄飛鳥駅から東へ20分ほど歩くと
---檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
・・・天武天皇と皇后の持統天皇の夫婦合葬陵があります。
この陵は古代の天皇陵として特定される珍しい存在。

当初は・・・持統天皇の遺骨は夫の棺に寄り添うように
銀の骨つぼに収められていたそうです・・・。


この御陵がある明日香村一帯が壬申の乱に勝利した
天武・持統両天皇が約30年に渡って政務を取った場所です。

檜隈大内陵からほぼ直線で北上すると後に
日本初の本格的な唐風都城となった藤原京跡があります。

持統天皇の在位中の694年都を
「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」から
「藤原京」に移しました。

この藤原京以降、日本の首都は皇居を意味する『宮』から
皇居を含めた国の都を意味する『京』を指すようになります。

当時の都は都市機能はなく、代々の天皇がそれぞれ
「宮(みや・天皇の住まい)」を建てました。
つまり、宮は天皇によって変更されます。

その宮に官僚達や豪族達が出廷して
政務を行っていくというというもの。
「宮」のある付近が都という意味です。

持統天皇の夫:天武天皇は在位中
「唐のように永続的に使用できる立派な都づくり」
を構想したといわれます。

万葉集によく詠まれた大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)が
昔と変わらず今も藤原京跡を囲むようにそびえています。


明日香村の一番有名な存在である石舞台古墳は
蘇我馬子の墓であるとの説があるのは
蘇我氏の本拠地がこの地にあったからです。


二大勢力の一つ物部氏と蘇我氏が仏教の布教について争いました。
587年、衣摺の戦い(東大阪市)において聖徳太子と組んだ
蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしました。

聖徳太子亡き後は、次第に蘇我氏の権力が強くなり
天皇家を凌駕する様になります。



645年中大兄皇子(後の天智天皇)と藤原氏の始祖となる
中臣鎌足らと謀り実母である皇極天皇の御前で
蘇我入鹿を殺害(乙巳の変)し
強力な蘇我氏の勢力を剥ぎ取りました。

中大兄皇子が実権を握ると改革(大化の改新)を推進。
天皇家中心の政治を行います。

一方、外交では友好国”百済“の支援の為、
唐・新羅と戦います(663年白村江の戦い)。
結果、大敗し唐・新羅軍の襲来に備える為、
大和の地から近江の大津宮に遷都したと言われます。

671年、天智天皇が崩御すると長男の大友皇子が
後継者に指名されます。

事前、天智天皇が重態となった時、
実弟の大海人皇子(後の天武天皇)に
後事を託す事を相談しましたが、大海人は辞退。

倭姫皇后が即位し大友皇子が執政するよう話し
自身は剃髪して僧侶となり吉野・宮滝に隠棲していました。
これは時機をうかがうパフォーマンスだったのでしょう。

翌年(672年)妻子を連れ宮滝から
飛び立つように決起し反旗を翻しました。
これが壬申の乱と呼ばれる古代史最大の内乱です。

天智天皇と天武天皇は両親(父・舒明天皇、母・皇極:斉明天皇)
ともに同じだといわれています。

東国(美濃・尾張)から数万の軍勢で大津宮を
わずか1ヶ月で近江朝を倒しました。
大海人皇子は美濃にしばらく身を置いた後
飛鳥に戻り天武天皇として即位。

天武天皇は皇族中心の政治を推進する中
官位や法律を整備し神道と仏教の振興も推進。
日本の統治機構や歴史・文化の原型を創造したされています。

そもそも日本を国号とした最初の天皇という説もあります。
この天皇という称号さえも 天武天皇が初めて使い始めたとも。

天武天皇の功績の中で、後の日本史に最大の足跡を残したのは
『古事記』『日本書紀』の編纂を発意したことではないでしょうか。

『古事記』が先に書かれ始め
完成する前に『日本書紀』も編集され始めました。

『古事記』が完成したのが712年(43代元明天皇の時代)。
『日本書紀』その8年後の712年には完成しました(44代元正天皇の時代)。

ではなぜ、同時期に二つの似たような内容の歴史書の編纂が始まり
その違いは何か?

神話記述は微妙な表現などの違いがありますが大筋同じです。
但し、『古事記』は33代推古天皇まで記述。
『日本書紀』は41代の持統天皇までを扱っています。

一般的には、『古事記』は、天皇の国土の支配や
皇位継承の正当性を国内に示す目的で創られ
『日本書紀』は、唐・新羅など諸外国に対し通用する
正史を作る目的であったとされています。
つまり、『古事記』は国内向けであり、
『日本書紀』は外国向けだという事ですね。


こられが編纂されたのは以前に存在した
歴史書が焼失してしまったと説もありますが
本当の所はよく分かりません。

権力者は過去も自身の都合の良い様にしたいのが世の常。
天武天皇が皇族中心の安定政権を仕上げとして
王朝の正統性を誇示できる書物が必要だったのでしょうか。

そういう観点で考えると、現在の日本歴史の古代部分は
天武天皇の構想した論旨で形成されているといえます。
天武天皇から日本史が始まったと言っても過言ではないでしょう。

なぜなら、現代の我々は『古事記』『日本書紀』以外の
日本の古い書物を目にすることが出来ないからです。


さて、持統天皇のお話しです。
天智天皇の娘・鵜野讃良皇女(うののさららひめみこ)として生まれ
父の実弟(叔父)にあたる天武天皇と結婚します。

天武天皇の即位後は皇后となり常に天皇を助け
そばにいて政事について助言したとされています。

ちなみに天智天皇は実弟である、天武天皇に讃良皇女を含めて
自分の娘を合計四人も嫁がせています。

なぜそこまでして天武天皇を懐柔する必要があったのか。
恐らく、潜在的に天武天皇の実力を一番わかっていたからだと思います。


686年天武天皇崩御。実子・草壁皇子も病没したため自らが即位。
孫の軽皇子(文武天皇)へ譲位後も上皇として政務を取り
夫が手がけた律令制定事業に力を注いだとされています。

天武天皇の治世は14年間、持統天皇が亡くなる(702年)までの
約30年間を天武・持統朝などの言葉で一括されるほどです。

持統天皇大きな功績として体系的な律令法と
言われる飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の制定や
条坊制を布いた本格的な唐風都城『藤原京』の造営に着手しました。
(構想は天武天皇といわれています。)

いずれにしても、この二つの事業は日本史上初めてのものです。

また、持統天皇は万葉歌人としても名を連ね
素晴らしい歌を数首残しています。

行動的で知られ飛鳥から南へ一山(芋峠)越えた
吉野の宮滝に31回も通ったといわれています。
晩年には壬申の乱の際に味方ついた豪族の労を
ねぎらうため東国(東海地方)までの長旅に出ました。

702年病を発し崩御。その際に天皇で初めて
火葬されたといわれています。

持統天皇の遺骨は檜隈大内陵に葬られ
夫の棺に寄り添うように銀の骨つぼに収められていたそうです。

この御陵は1235年(文暦2年)に盗掘に遭った際に
持統天皇の銀の骨つぼは持ちされて話が
藤原定家の『明月記』に記されているそうです。

崩御の500年後に夫・天武天皇と引き離された
・・・なんとも物悲しい気がします。

 

この文章を含めて何一つ明確な確証がない謎だらけの日本古代史。
ですが自分流の感性で日本古代史の旅にでかけましょう。
古代史は十人十色、お好みの想像で良いではありませんか。

■文 ツアープロディーサーMK

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